大判例

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大阪高等裁判所 平成5年(行コ)31号 判決

控訴人

宮脇初子

右訴訟代理人弁護士

中島晃

吉田容子

大脇美保

被控訴人

京都南労働基準監督署長

西嶋慧

右指定代理人

阿多麻子

外四名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が昭和五九年二月二八日付で控訴人に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付をしない旨の処分を取り消す。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」欄及び「第三 争点及び当事者の主張」欄記載のとおり(但し、原判決二枚目表初行の「支給しない」の前に「業務外のものであるとして」を加える。)であるから、これを引用する。

二  証拠の関係は、本件原審及び当審記録中の各証拠関係目録記載のとおりであるからこれを引用する。

第三  判断

一  宮脇米三(以下「米三」という。)の従事していた業務の状況について

1  証拠(甲四ないし六、一〇ないし一九、四二、乙六ないし一一、一八ないし二五、検甲一ないし一三、証人宮島義夫、同山口幸男、控訴人本人)、前記当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。

(一) 米三は、昭和五七年六月から北信運輸の従業員として、一一トントラックにより、同社が下請けしている京都藤川の京都・東京間の長距離運転に従事していたものであるが、そのうち京都・東京間の往路は、「急便」と呼ばれ時間指定があるため急ぐ必要のある荷物の運送であった。

京都・東京間の長距離トラック運送業務(以下「東京運行」という。)は、ほぼ二日間を一単位として行われており(隔日勤務)、ただ、京都・東京間の往復の間に日曜・祝祭日が入るような場合や、復路の積荷の荷卸しの日時が指定されている場合には、京都到着後北信運輸の構内に荷積みしたままトラックを駐車させて帰宅し、翌日或いは翌々日等に荷送り先に荷物を搬送していた。

(二) 業務の内容

米三が本件発症前一か月の間に従事していた東京運行の内容は概ね別紙のとおりである。

(三) 米三の従事していた東京運行は、片道の走行距離が約五三〇キロメートルである(乙一七)が、ワンマン(一人乗務)運行であったため途中で運転業務を交替することができなかった。また、北信運輸では運転手に休憩や仮眠の指示はしておらず、米三は、往路は急便のため交通渋滞等で到着が遅れることがないよう、京都・東京間の高速道路を走行中、トイレや自販機で飲物を飲むなど約一五分の休憩を一、二回とる位のもので、右走行区間中十分な休憩や仮眠をとることはなかった。

(四) 別紙記載の京都藤川における荷積作業は、ベルトコンベアやローラーを流れてきた荷物(一個当たり平均二〇キログラムで合計四〇〇ないし六〇〇個)を米三が一人で、或いは荷物が多いときは同社の従業員一人と共にトラックに積み込んでいた。この作業は約三時間かけて行うものであるが、荷物の集配車が同社に戻る都度トラックに積み込むという断続的な作業であり(仮に、一人が集中的に積み込むとすれば、それは一時間程度で終了する。)、このため生ずる手待ち時間には、米三は、荷物の発着ホームや自己のトラック内その他トラック周辺で待機していた。

東京藤川での荷卸作業は、同社の作業員一、二名と米三とで、トラックに積まれた荷物を上から順々に降ろしてローラーに流すものであり、三〇分程度で行われるものであった。

また、日産車体等においてなされる、東京からの復路に運送する荷物の積込作業は、大半はパレットと呼ばれる入れ物に入っている自動車部品であって、リフトで同社の作業員がトラックに積み込むが、ダンボール等に入れられた自動車部品も一部あり、これは米三がトラックの荷台入口付近からトラック内部に積み込んでいた。

(五) 米三は、東京運行で京都に午後一〇時ないし一一時頃到着した翌朝に荷送先に荷物を搬送する場合に、早朝の混雑のため、荷送先が堺市所在のときは午前六時前に、また、荷送先が大阪市所在のときは同六時半頃に自宅を出発しなければならなかった。但し、本件発症前一か月間については、堺市所在の荷送先はなく、早朝では大阪市内に一回(別紙記載の3〜4)あるのみで、同9〜10、17〜18、23〜24、25〜26はいずれも荷送先は京都である。

(六) 米三は、自家用車で通勤しており、自宅・北信運輸間の所要時間は車で約一時間であり、また、京都藤川・北信運輸間、自宅・藤川運輸間の各所要時間は、それぞれ一時間弱、約三〇分であった。また、米三ら北信運輸の運転手は、同社構内の設備で入庫毎に給油(所要時間約一〇分)を、週一、二回自分のトラックの洗車(所要時間三〇分ないし一時間)を各自行っていた。

(七) 京都藤川、東京藤川のいずれにおいても、米三ら傭車運転手用の仮眠室はなく、京都藤川では同社の運転手用の仮眠室を傭車運転手にも事実上使用を認めていたが、実際には、米三ら傭車運転手は手待時間でもこれを利用しておらず、また、東京運行の復路運送する荷物の積込先である日産車体等でも、米三ら傭車運転手が仮眠室を利用することはなく、右米三らは東京藤川や日産車体等での手待ち時間は自己のトラック内で休憩、仮眠等をとっていた。そのため米三は十分な仮眠をとることはできなかった。

(八) 米三は、昭和五八年四月一〇日午後一〇時頃京都藤川を出発し東京藤川に約七時間かけて運行し、トラック内で仮眠した後同社の荷卸作業に従事中の同月一一日午前七時頃くも膜下出血を発症して倒れ、同月一四日死亡するに至った。

2  右認定した各事実によると、

(一) 米三の昭和五八年三月一六日から同年四月一〇日までの勤務状況は、二暦日毎の拘束時間が概ね、次のとおりとなる。

①三月一六日(水)〜三月一七日(木)三〇時間

②三月一八日(金)〜三月一九日(土)三六時間三〇分(大阪市の荷送先までの走行時間を含む。)

③三月二〇日(日)〜三月二一日(月)なし(休日)

④三月二二日(火)〜三月二三日(水)三九時間(大阪市の荷送先までの走行時間を含む。)

⑤三月二四日(木)〜三月二五日(金)三〇時間

⑥三月二六日(土)〜三月二七日(日)一四時間

⑦三月二八日(月)〜三月二九日(火)三〇時間

⑧三月三〇日(水)〜三月三一日(木)三三時間

⑨四月一日(金)〜四月二日(土)三一時間

⑩四月三日(日)〜四月四日(月)二五時間

⑪四月五日(火)〜四月六日(水)二八時間

⑫四月七日(木)〜四月八日(金)三一時間

⑬四月九日(土)〜四月一〇日(日)一二時間(日車京都までの走行時間を含む。)

右の拘束時間の算定に当たっては、米三が東京運行から北信運輸に帰り、その構内に荷積みしたままのトラックを駐車させて帰宅し、翌日或いは荷送先の指定日に北信運輸に出勤し荷送先に、届けるため出庫するまでの間(以下「帰宅時間」と便宜いう。)は、使用者の指揮監督の下にはなく、使用者からの就労要求があれば直ちに就労し得る態勢で待機しているものではないから、いわゆる手待ち時間には該当しないと解され、また労働時間の途中とはいえないから、休憩時間に該当せず、したがって、右帰宅時間は拘束時間(労働時間及び休憩時間)ではない非拘束時間ということができるので、これに基づいて算定したものである。

(二) また、右(一)と同一期間中、各東京運行の復路京都に到着後次の勤務(京都到着の翌日或いは翌々日行う復路運送してきた荷物の大阪、京都の荷送先までの運送勤務を含む。)までの各休息時間は次のとおりとなる。

①右(一)①の勤務終了後同②の勤務開始まで  九時間三〇分

②右(一)④の勤務終了後同⑤の勤務開始まで  一六時間三〇分

③右(一)⑤の勤務終了後同⑥の勤務開始まで  一〇時間

④三月二八日の勤務終了後三月二九日の勤務開始まで 一八時間

⑤三月三一日午前〇時までの勤務終了後同日午後三時の勤務開始まで 一五時間

⑥四月一日の勤務終了後四月二日の勤務開始まで 一三時間

⑦右(一)⑩の勤務終了後同⑪の勤務開始まで 一九時間

⑧右(一)⑪の勤務終了後同⑫の勤務開始まで 一〇時間

⑨右(一)⑫の勤務終了後同⑬の勤務時間まで 一二時間

二  米三の死亡の業務起因性について

1  死亡した労働者の遺族が労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に定める遺族補償給付を受給するためには、当該労働者が「業務上死亡した」ことが必要であり(労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条)、右の「業務上死亡した」とは、労働者が業務により負傷し、または疾病にかかり、右負傷または疾病により死亡した場合をいい、業務により疾病にかかったというためには、疾病と業務との間に相当因果関係がある場合でなければならない。そして、右の相当因果関係があるというためには、必ずしも業務の遂行が疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく、当該被災労働者の有していた病的素因や既存の疾病等が条件または原因となっている場合であっても、業務の遂行による過重な負荷(以下「業務の過重性」という。)が右素因等を自然的経過を超えて増悪させ、疾病を発症させる等発症の共働原因となったものと認められる場合には、相当因果関係は肯定されると解するのが相当である。

なお、被控訴人は、本件のような脳血管疾患の場合の業務起因性の認定は、昭和六二年の認定基準によるべきである旨主張するが、右認定基準は、業務上外認定処分を所管する行政庁が処分を行う下級行政機関に対して運用基準を示した通達であって、業務外認定処分取消訴訟における業務起因性の判断について裁判所を拘束するものではないから、被控訴人の右主張は採用できない。

2  米三が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症して死亡したことは当事者間に争いがない。

3  脳動脈瘤の成因、脳動脈瘤破裂の誘因等について

(一) 証拠(甲六五、七四、七五、七六の一、二、八三、八五、八七の一、二、九一の一、二、九二、九四、証人新宮正)によれば、脳動脈瘤の成因については、いまだに議論の多いところであるが、近年実験動脈瘤の作製を契機として、先天説、すなわち、中膜筋層部及び内弾性板の先天的な欠損ないし形成不全による血管壁の脆弱部に脳血流の流体力学的圧力負荷が加わって、この部分に退行性変化が起きて脳動脈瘤が形成されるとする見解よりも、後天的要因を重視する見解が有力であること、後天的要因を重視する見解は、脳動脈瘤は、脳血管壁の脆弱化によって引き起こされる血管自体の変性であるとするものであるが、血管壁の脆弱化を引き起こす原因として、加齢による中膜筋細胞の退行性変化、高血圧、血流の乱れなどによる血行力学的負荷の増大のほかにさまざまな血管作働性物質や血管透過性物質を原因とする中膜筋細胞壊死など後天的な誘因といわざるをえない因子が考えられていることが認められる。

(二) 脳動脈瘤破裂の誘因について

(1) 証拠(甲三六、三八、四二、四七、六五、七〇、七一、七二の一、二、七七ないし七九の各一、二、八二の一、二、八四、八六の一、二、八八、八九の一、二、九〇の一、二、九三、九八、一〇一、証人新宮正、同吉中丈志)によれば、以下のとおり認められる。

(イ) 脳動脈瘤破裂の誘因につき、これまでなされた多くの調査研究報告には、その結果に差異がみられ、そのため「脳動脈瘤破裂の誘引などは存在せず、その破裂は自然経過によって、何ら誘因なくもたらされるものである」とする見解が形成されてきた。

しかし、剖検時に認められる脳動脈瘤は、組織学的に種々の段階(脳動脈瘤壁がほゞ正常な血管壁の構造を有するものから、破裂の準備段階とみなしうる、高度な中膜筋層の壊死もしくは壁の膠原線維のすだれ状疎開等の存するものまで)が認められており、このような病理学的事実によると、破裂を引き起こす誘因は、むしろ破裂させられる脳動脈瘤がどの程度の組織学的変化をきたしていたかによって規定されていると考えなければならない。したがって、また、特定の脳動脈瘤の破裂の誘因は、その特定の脳動脈瘤の破裂しやすさが組織学的にどの程度まで進行していたかという事実に対応するべきはずであるところ、前記これまでの調査研究報告は、組織学的変化が極めて大きな幅をもちながら連続的に変化している脳動脈瘤を総体として統計処理がなされた結果であり、右報告による差異により形成された前記見解は正しくないといわざるをえない。

(ロ) 脳動脈瘤破裂に際して直接的な影響を有する因子は、動脈瘤壁の強度と内腔からの圧力であり、後者が前者を凌駕することによって破裂準備状態にあった脳動脈瘤が破裂させられる。

(ハ) 脳動脈瘤破裂の誘因として最も直接的に作用するものは、脳動脈瘤に加わる血行力学的圧力であり、その重要な要素は全身血圧である。したがって、全身血圧を上昇させる労作や感情の興奮等が破裂の強力な誘因となる。

(ニ) ところで、近年の脳動脈瘤の疫学に関する報告によれば、脳動脈瘤は従来考えられていた以上に相当高率に存在し、また、未破裂脳動脈瘤は従来考えられていた程破裂しやすいものではなく、脳動脈瘤の発生率に比較して、実際に破裂してくも膜下出血の原因となる脳動脈瘤は極めて少い。しかも、未破裂脳動脈瘤の発見率は、年齢の増加と共に増え、七〇才台がピークに達するのに比し、疫学上認められる脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の発症率は、男性が五〇才台、女性が六〇才台でピークに達しており、脳動脈瘤の発生と破裂との間の関連性がうすいことが証明されている。

(ホ) さらに、最近の知見として重要なことは、脳動脈瘤の破裂に至る経過は単純なものではなく脳動脈瘤壁の脆弱化に拮抗する修復過程が存在することが臨床組織学的にも実験的にも認められているということである。前記の如く、すべての脳動脈瘤が破裂するわけではなく、むしろ破裂するのは極めて少ないのは、脳動脈瘤の壁には脆弱化を促進する因子が作用すると同時に、脆弱化から修復する因子もまた作用しているためである。

血管壁障害の修復過程に対して重要な役割を果たしているのは休息―睡眠である。ヒトは、血圧の日内変動が存在し、昼間の覚醒時に高く、夜間の睡眠中には低下することが知られている。血管壁に対する血圧の負荷が睡眠による血圧の低下によって軽減されることは、血管壁の障害に対する修復機序として極めて重要である。しかも、休息―睡眠は、単に血圧を低下させるのみではなく、活動時の交感神経系優位の状態から休息時の副交感神経系優位の状態へと自律神経系のバランスを変換させる作用をも有している。そして、前記(一)記載の血管壁の脆弱化を促進する種々の因子は、交感神経系優位の状態で分泌が亢進することが知られている。

(ヘ) 修復過程に不可欠な睡眠による血圧の低下―血管に対する負荷の軽減を十分に獲得することができず、さらに長時間過度の緊張状態―交感神経優位の状態―に伴う種々の血管壁に対する攻撃因子の増大は、血管壁の損傷を加速し、障害過程が修復過程を上回った状態を押し進め、脳動脈瘤破裂の準備状態を形成していくことになる。

(ト) 睡眠中の血圧は下降したままであり、覚醒とともに急激に上昇してくることが知られており、かがみ込みの姿勢で重量物を持ち上げることのある荷卸作業はいわゆるバルサルバ(息を詰める行為)効果を伴う作業であって、このような行為は、血圧を急激に上げる因子であって脳動脈瘤破裂の誘引として極めて重要である。

4  ところで、証拠(甲二四の一)によると、昭和五八年当時、自動車運転者の労働条件の改善を図り、併せて交通事故の防止に資するため、労働省により自動車運転者の労働条件の最低基準が定められており(昭和五四・一二・二七基発第六四二号労働省労働基準局長より都道府県労働基準局長あて自動車運転者の労働時間等の改善基準について。以下「改善基準」という。)、ハイヤー・タクシー業以外の事業における自動車運転者に関する規定内容は以下のとおりであることが認められる。

(1) 労働時間

所定労働時間は、休憩時間を除き、一日について八時間、一週間について四八時間を超えないものとし、また、変形労働時間制をとる場合には、四週間を平均して一週間の労働時間が四八時間を超えないものとする(改善基準Ⅲ)。

(2) 拘束時間及び休息時間

長距離トラックの運送業務等にみられるいわゆる隔日勤務については、業務の必要上やむをえない場合の例外的措置として、当分の間に限ってこれを次の条件、すなわち、イ二暦日における拘束時間は二一時間を超えてはならないものとし(同Ⅳ(5)イ)、勤務と次の勤務との間には連続した二〇時間以上の休息期間を与えなければならないものとする(同Ⅳ一(5)ロ)との条件のもとで認めている(同Ⅳ一(5))。

(3) 休日

休日は休息期間に二四時間を加算して得た連続した時間とし(改善基準Ⅳ三)、休日労働は二週間における総拘束時間が一五六時間(但し、隔日勤務の場合は一二六時間)を超えない範囲内で行うことができるものとし、その回数は、二週間を通じ一回を限度とするものとする(同Ⅳ一(13))。

(4) 最大運転時間

一日の運転時間は、時間外労働を含め九時間以内とし、この一日の運転時間は、二日を平均して計算することができるものと、一週間における運転時間は、時間外労働を含め四八時間以内とし、この一週間における運転時間は、二週間を平均して計算することができるものとする(改善基準Ⅳ一(8)、(9))。

5  米三の脳動脈瘤自体が米三の業務の遂行に起因して形成されたといえる的確な証拠はない。したがって、米三の脳動脈瘤は、米三が有していた既存の疾病(以下「基礎疾病」という。)と考えられ、そうとすれば、本件脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は米三の右基礎疾病が原因となっているといえるから、本件疾病に業務起因性があるか否かは、米三の業務の遂行による業務の過重性が右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させ、脳動脈瘤破裂発症の共働原因となったといえるかを検討すべきこととなる。

6  自動車運転者の業務の過重性をいかなる目安によって量るかは、さまざまな議論があり得るところであるが、改善基準は、自動車運転者の労働条件について最低基準を定めることによって、労働条件の改善向上を図り、併せて過労等に基づく交通事故の防止に寄与することを目的としたものと解されるから、改善基準が業務の過重性判断のひとつの指標となり得るものというべきである。

そこで、以下米三について改善基準の遵守状況について考察する。前記一で認定した事実によれば、昭和五八年三月一六日から四月八日までの二日運行の各拘束時間は、三月二〇、二一日を除くと、前記一2(一)⑥を除き、最大限の二一時間を超え、とくに、同一2(一)の②、④、⑧、⑨、⑫のそれは三〇時間を超えており、改善基準に大幅に反しており、休息期間は、前記一2(二)でみた三月一六日から四月一〇日までの間につき、前記一2(二)記載の①ないし⑨の全てが最大限二〇時間を下まわり、うち④の一八時間、⑦の一九時間を除くその余は右二〇時間を大幅に下まわっている。また、休日については、改善基準所定の隔日勤務の場合の休日(連続した労働義務のない四四時間)は、三月二二日から四月一一日までの間一回もなく、したがって、米三は二一日間休日なしで勤務についていたこととなり、休日労働は、本件発症直前の二週間(三月二七日から四月九日まで)の総拘束時間は一六〇時間(この時間は前記一2(一)の各拘束時間と別紙記載の東京運行内容に照らし計算した。)に及び、改善基準の範囲内では到底認められないものであった。更に、運転時間は、三月二七日から四月二日までの一週間のそれは五一時間、同月三日から同月一〇日までの一週間の運転時間は五四時間三〇分であって、いずれも改善基準にかなり大幅に違反している(右認定した各運転時間は、前記認定した別紙記載事実、前記一1(五)、(六)の事実、乙二五、弁論の全趣旨等によって計算した。)。

7  右認定に、前記一で認定した米三の仮眠状況その他運転業務内容を併せ考えると、米三の三月一六日から四月一〇日までの間の長距離トラック運転業務は、運転行為自体が長時間しかも主として夜間のため連続した緊張の持続を要求されていただけでなく改善基準に違反する長時間の拘束、長時間運転が多く、休息は十分与えられておらず、仮眠すら十分とれず、本件発症前二一日間は改善基準の定める休日もないという状況のもとに行われてきたものであり、このような業務の遂行により、米三は、本件発症当時慢性的・恒常的な睡眠不足、過労状態に陥っていたことが推認される。

そして、右認定に右二3で認定した事実、甲四二、六五、証人新宮正、同吉中丈志によると、右のような勤務状況は脳動脈瘤に対し、血管壁損傷とこれに対する修復機構という観点から明らかに不利に作用していることが認められるから、米三の右勤務状況に業務の過重性があるというべきである。

証拠(乙一五の一、控訴人本人)によると、米三は、死亡時より十数年前に高血圧が指摘されたことがあり、また、一日に日本酒二合位を飲み煙草二〇本を吸っていたことは認められるが、これらが特に血管壁ないし脳動脈瘤壁の脆弱性を促進させるべき要因となったことを窺わせる証拠はないし、その他米三の私生活においても、特に血管壁等の脆弱性を促進させる要因が存したことを認めさせる的確な証拠はなく、同人の死亡時の年令(四一才)からすると、加齢及び日常生活上の負荷による自然的経過のみによって脳動脈瘤破裂に至ったとは考え難い。

8 右一及び二の認定、判示並びに証拠(甲四二、六五、証人新宮正、吉中丈志)を併せ考えると、前記過重性が認められる業務の遂行によって、血管壁の修復過程に不可欠な睡眠による血圧の低下を十分に得ることができず、しかも夜間、長時間にわたる長距離トラックの運転という過度の緊張状態―交感神経優位の状態―に伴い種々の血管壁に対する攻撃因子が増大し血管壁の損傷を加速し、障害過程が修復過程を上回った状態を進行させたため、米三の基礎疾病である脳動脈瘤の血管壁は自然的経過を超えて急激に脆弱化され、本件発症当時には破裂準備状態に至っていたところ、東京藤川に到着後の短い仮眠後荷卸作業に従事したことにより血圧が急激に上昇し、これが直接の誘引となって右破裂準備状態にあった脳動脈瘤を破裂させて、くも膜下出血を発症させ、同人を死亡に至らしめたものと認めるのが相当である。

そうすると、本件発症は、米三の基礎疾病と過重な業務の遂行が共働原因となって生じたものということができるから、米三の死亡と業務との間に相当因果関係が存することを認めることができる。

三  結語

以上の次第であって、米三の本件発症及びこれによる死亡を業務外のものであるとした本件処分は違法であり、右処分の取消しを求める控訴人の本件請求は理由があるから認容すべきである。したがって、これと結論を異にする原判決を取り消して、本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山中紀行 裁判官武田多喜子 裁判官井戸謙一は填補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官山中紀行)

別紙

1 昭和五八年三月一二日(土)午後五時 京都藤川着、その後帰宅。同月一六日まで仕事を休む

2 同月一六日(水)午後四時 京都藤川に到着。

同日午後一〇時頃 京都藤川を出発。

3 翌一七日(木)午前五時頃 東京藤川に到着。

同七時頃 積荷の荷卸しを終えて東京藤川を出発。

同一〇時頃 相模原の日産車体を出発。

午後一〇時頃 京都市に到着。車を荷積みのまま北信運輸に置き帰宅(甲一〇、一一から推認)。

4 翌一八日(金)午前九時 大阪市の荷卸場所に到着。

午後〇時 京都市の北信運輸に帰庫。

同一時頃 北信運輸を出発。

同五時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従業。

同一〇時頃 同所を出発。

5 翌一九日(土)午前五時頃 東京藤川に到着。

同八時頃 積荷の荷卸しを終え、東京藤川を出発。

午後一時頃 静岡の花精化学で荷積みを終え出発。

同八時頃 京都に到着。車を荷積みのまま北信運輸に置き帰宅(甲一一、一二からの推認)。

6 同月二二日(火)午前一〇時三〇分頃 大阪市内の関西化成に右花精化学の積荷を届け、荷卸し作業。

午後〇時 北信運輸に帰庫。

同一時頃 北信運輸を出庫。

同三時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時頃 同所を出発。

7 翌二三日(水)午前五時頃 東京藤川に到着。

同八時頃 荷卸しを終え、同所を出発。

午後〇頃 神奈川県寒川町の日産工機株式会社本社工場に到着。

同四時頃 荷積作業を終え、同所を出発。

同一一時頃 京都の日車京都で荷卸しを終える。

同一一時三〇頃 北信運輸に帰庫。

8 翌二四日(木)午後四時頃 北信運輸を出庫。

同五時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時頃 同所出発。

9 翌二五日(金)午前五時頃 東京藤川に到着。

同七時頃 荷卸し終了。その後同所出発。

午後一時頃 日産平塚に到着。荷積み後出発。

同一〇時頃 京都に到着。車を荷積みのまま北信運輸に置き帰宅。

10 翌二六日(土)午前八時頃 北信運輸を出庫。日車京都で荷卸しに従事。

午後四時頃 京都藤川に到着。翌日に出発するための荷積み(宵積み)を八時頃までした後帰宅。

11 翌二七日(日)午後一〇時頃 京都藤川を出発。

12 翌二八日(月)午前八時頃 東京藤川で荷卸し後同所を出発。

同九時頃 横浜三地区に到着。荷積み。

午後四時頃 同所を出発。

同一〇時頃 日車京都で荷卸し。その後同所を出発。

同一一時頃 北信運輸に帰庫。帰宅。

(右8ないし12は、甲一三、一四の記載を、車による走行所要時間等に照らし修正して推認。)

13 翌二九日(火)午後五時頃 北信運輸を出庫。

同六時 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時 同所を出発。

14 翌三〇日(水)午前五時頃 東京藤川着。

同七時頃 荷卸作業終了。その後同所を出発。

午後一時頃 平塚市の新和工業到着。荷積み作業に従事。

15 翌三一日(木)午後〇時 北信運輸に帰庫。帰宅。

16 同日 午後三時頃 北信運輸を出庫。

同五時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時頃 同所を出発。

17 四月一日(金)午前五時頃 東京藤川に到着。荷卸作業に従事。

同七時三〇分頃 同所を出発。

午後三時頃 平塚市の新和工業に到着。荷卸作業に従事。

同四時頃 同所を出発。

同一〇時頃 北信運輸に到着。車を荷積みのまま同所に置き帰宅。

18 翌二日(土)午前一一時頃 北信運輸から日車京都に車を回す。同所で荷卸し。

19 同日 午後三時頃 京都藤川に到着。荷積み(宵積み)を午後八時頃までしてから帰宅。

20 翌三日(日)午後一〇時頃 京都藤川を出発。

21 翌四日(月)午前七時三〇分頃 東京藤川で荷卸し終了。その後同所を出発。

同一〇時頃 日産寒川に到着。荷積作業に従事。

午後四時頃 同所を出発。

同一〇時頃 日車京都着。荷卸し。

同一一時頃 京都藤川着。空車のまま駐車して帰宅(日報(甲一八)で、四月五日の北信運輸の出庫時刻及び京都藤川到着時刻が同じであることによる。)。

22 翌五日(火)午後六時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時頃 同所を出発。

23 翌六日(水)午後五時頃 東京藤川に到着。荷卸作業に従事。

同七時頃 同所を出発。

同一〇時頃 平塚市の平田重工業に到着。荷積み。

午後四時 同所を出発。

同一〇時 北信運輸に到着。荷積みのまま車を同所に駐車して帰宅。

24 翌七日(木)午前八時頃 北信運輸を出発。日車京都で、荷卸し。

同一〇時頃 北信運輸に帰庫(甲一八)。帰宅。

午後六時頃 京都藤川に到着。荷積作業に従事。

同一〇時頃 同所を出発。

25 翌八日(金)午前五時頃 東京藤川に到着。荷卸作業に従事。

同七時頃 同所を出発。

午後二時三〇分頃 平塚市の日車平塚に到着。荷積み。

同四時頃 同所を出発。

同一〇時頃 北信運輸に到着。車を荷積みのまま同所に駐車して帰宅。

26 翌九日(土)午前一一時頃 日車京都に到着。荷卸し。

午後三時頃 京都藤川に到着。荷積み(宵積み)を午後八時頃までして帰宅。

27 翌一〇日(日)午後一〇時頃 京都藤川を出発

28 翌一一日(月)午前五時頃 東京藤川に到着。

同七時頃 同所で荷卸作業中に発症。

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